【開催レポート】第147回わだい浪切サロン「もしも村上春樹がお札の肖像画になったら?~読書や作家の有り様はどのように変わってきたのか?~」
公開日 2023年07月26日
第147回わだい浪切サロン「もしも村上春樹がお札の肖像画になったら?~読書や作家の有り様はどのように変わってきたのか?~」を下記のように開催しました。
話題提供|佐藤 和正氏(和歌山大学 教育学部 名誉教授 )
開催日時|2023年6月21日(水)19時?20時30分
開催方法|南海浪切ホール1階多目的ホールおよびオンライン講演(ハイブリッド開催)
参加者数|対面参加者名 オンライン 23名 会場参加者 22名 合計名 45名
講演内容|
今回は、紙幣(旧千円札)の肖像画になぜ音楽家でもなく美術家でもなく作家の夏目漱石になっていたか?という話題を通じて、作家に対する社会の認識の変化についてお話しいただきました。
読者像も変化し、作品を通しての作者への関心であった時代から、今は二次創作などを通じて、読者同士のつながりを重視する考えに変わってきているとのお話をしていただきました。
会場からは「太宰治は樋口一葉や夏目漱石より紙幣になりたかった。小説「貨幣」がそれを暗示している。という理屈は成り立つのでしょうか」などの質問やオンライン参加者からは「本日も遅くまで講義を頂き、大変有難うございました。文学者のあまり語られない一面を知ることができたと思います」との感想が寄せられていました。
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また先生からは下記のように浪切サロン講師アンケートをご回答いただきました。
ここが言い足りなかった(補足や参考資料に関する言及など) |
大きな変化を経験するような時代には生きにくさが生じるわけですが、それが多くの人が経験するものである以上、お互いに共感しあい、理解しあうことができます。そこで他人の言葉を受け入れたり、考え方を知りたい、と思えたことが近代文学が生まれた背景にありました。 しかし、現在はこのような人の間の共感や理解がとても難しくなっているように思います。ある人にとってはとても重要な問題が、他の人にとっては理解不能だったり、どうでもいいような話だったりする。そういう時代には文学を読むことになかなか価値を見出しにくくなる。 うまく言えたか分かりませんが、このような近代と現代の間にある、文学をめぐる環境の違いを分かってもらうことが目標でした。 |
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以上
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