Interview : 2023年12月07日 / 2024年02月14日
小関洋治(文化財)インタビュー
実施日:2024年2月14日
公開日:2025年4月1日
場 所:和歌山大学紀州経済史文化史研究所
語り手:小関洋治(おぜきようじ)
聞き手:長廣利崇
【語り手プロフィール】
小関洋治
教育長(文化財保存)
1942年山形県鶴岡市生まれ。東京教育大学文学部史学科卒業後,1965?80年和歌山県立桐蔭高校?海南高校教諭,1980?87年和歌山県教育委員会,1987?91年文部省初中局教科調査官(歴史担当),1991?98年和歌山県教育委員会を経て,1998年に和歌山県教育委員会教育長に就任(2007年まで)。2007?13年和歌山県文化財センター理事長、和歌山大学客員教授、関西大学非常勤講師などを歴任。
【N】 それでは、録音の許諾をいただきましたので、音声録音させていただきます。本日は2024年2月14日で、ここは紀州経済史文化史研究所、事務室です。前回に引き続いて、本日もよろしくお願いします。まず、形式的ではございますが、お名前をお願いします。
【O】 はい。小関です。
【N】 ありがとうございます。それでは、本日は高野山の世界遺産登録についてのお話をまずはお聞かせください。2004年に、紀伊山地の霊場と参詣道として世界遺産登録されましたが、この時のお話をお願いできないでしょうか?
【O】 はい。今年は、ちょうど世界遺産登録から20周年っていうことになりますね。今、お話になったように2004年の、厳密に言えば7月7日、七夕の日に中国の蘇州ってところで開かれた世界遺産委員会。これは毎年1回持ち回りで、世界各地で開かれるユネスコの世界遺産関係の決定機関になるんです。そこで承認されて登録が本決まりになったと。ちょうどその時間帯ですね。夕方でしたかな、7月7日の。蘇州と日本は2時間ぐらい時差があったかと思いますが、日本時間では午後の少し遅い時間に、当時は和歌山県知事は木村良樹さんという方でして、我々教育委員会関係者も知事室へ集めて、正式の通知は文化庁から入ることになっていたんですね。で、文化庁の担当部長、辰野さんという方から電話がかかってきて、その電話を知事が受けて本決まり、正式に決まりましたということでバンザイみたいな感じだったんですね。あれがちょうど20年前になるわけです。早いもんですね。
そこへ至るプロセス。一番最初は民間の若い人たちの有志が、一番早いものとしては熊野古道に目をつけてそれを世界遺産にできないかということで活動を始めたんですね。そういうプロジェクトチームができて、いろいろ調べたり実際歩いたりしてたわけです。そうこうしておるうちに、高野山はどうなのかという話が出てきたんですね。高野山の話しっていうのは多分これは推測の域を出ませんけれども、その話しが出る以前に、1994年ですかね。古都京都の文化財っていう名目で、3番目の文化遺産として京都市内の神社仏閣とプラスアルファで滋賀県の比叡山延暦寺関係、それが登録されたんですね。天台宗の総本山ですから、延暦寺は。それに対して、真言宗の総本山である高野山の方がやっぱり遅れを取ったと形の上ではなるわけで。その辺から高野山関係者も本腰を入れて声を上げるようになってきたんではないかなというふうに思いますね。
で、日本が世界遺産条約を批准したのは実はかなり遅くて、1992年なんですね。これは国際条約なわけで、加盟して批准しないとだめなんですけども。1972年に、すでにユネスコは世界的な地球上の希少な文化遺産を守ろうということでスタートさせたんです。そこから20年たって、特に日本も世界遺産条約に加盟して同じ流れの上に乗ったんですけども。20年の立ち遅れっていうのは相当響きまして、アジア諸国もそうでしたけども。圧倒的に欧米、それもヨーロッパが、先行しましてね。それまで、すでに世界的には7割ぐらいがヨーロッパの都市が遺物、遺跡が指定されてたんです。ということは、日本が20年遅れたって言っても、あながち非難されるべきではない点がありまして。日本の国内法、国内の法律で文化財を守ろうというのは非常に進んでた面があるんですね。話ちょっと飛びますけども、紀州徳川家の明治以降の子孫というか、明治の初めにも全部東京に殿様は引き上げてしまうわけですが、その末裔っていうかな。15代目になりましょうか。徳川頼倫さんて方が。音読みにしてらいりんさん、徳川らいりんさんと言っとるんですけど。この人が史跡名勝保存運動ってものを先進的に始めておられまして。尽力、奔走されたおかげで法律がもうすでにできてたんです。大正の初期ぐらいですかね。そんなことがあって、文化財保護に関してはもちろん日本のほうが進んでた面があるんですね。なんで、世界のそれをあまり必要としないということがあって、20年のギャップができたんですけども。さっき言いましたように、動き出した流れの中にやっぱり身を投じていくとすれば、ユネスコのやり方を踏襲しないとあきませんからね。で、本格的に和歌山県が高野山と熊野をセットで世界遺産に登録を目指すというのをスタートさせたのが西暦2000年。当時、教育委員会の責任者でしたから、1セクションに文化遺産課があります。その中に、世界遺産推進室というのを作りましてね。そっから本格的なスタートを始めたということですかね。始まりはそのぐらいですね。
【N】 ありがとうございました。活動を推進する上で、先ほども出てきましたが人々の期待というのは多かったんでしょうか?
【O】 いや、正直言ってそれほどではなかったと思うんですね。大体、世界遺産ってことが馴染みがない。すでにいくつか指定されてましたけども。これ、よそ事というふうに皆さんが思ってらっしゃったし、和歌山にたくさんの文化財があるっていうのは、言えば日常化していて当たり前という意識が強いんですね。今さらユネスコがどうのこうのってことそんなことは必要あるのかないのかということからすると、関心はそれほど高くなかったっていうふうに、正直思います。ですから、それを機運を盛り上げていくってことも必要ですので。いろいろなシンポジウム開いたり展覧会をやったり、それから高野?熊野を世界遺産にと書いた綺麗なステッカーを作って車に貼ってもらったり建物に貼ったりとかそういうPR、広報活動にはずいぶん力を入れていったわけです。
【N】 行政当局としましては、世界遺産に登録されることによってどういう変化が起こるというふうに考えていたんでしょうか?
【O】 それは既に先行してる事例から見て、圧倒的に主流の考え方っていうのは観光客が増えるだろうと。和歌山は一応、観光県ってなってますけども。それに、さらにワールドヘリテージっていうネームバリューが加わることで、この国内だけじゃなくて世界に知名度が上がって来訪する人も多くなるだろうという、そういうことは無意識のうちにっていうか、みんなの共通認識の中にありましたよね。
【N】 その活動は日本の各都道府県はすべて世界遺産登録など考えていたんでしょうか?
【O】 いや、それ以前の様子を見ると、むしろ日本の場合は文化庁主導型っていうか、例えばお宅の県にこういうのが、立派な文化財ありますよと。で、これを条件整備をした上で、世界遺産登録に持っていったらどうですかっていうふうにね。いわば一本釣りのような上からという形がほとんどだったと思います。法隆寺にしても、姫路城にしても、先ほど言った京都市内の神社仏閣にしても。それに対して和歌山の場合は、いわば下からの盛り上がりというか、さっき言ったようにスタートが民間の有志の方々の動きでしたしね。それにかなり素早く県も反応して、1つの提案主体にふさわしい活動を始めていったわけで。その点では和歌山は非常に先進事例を作ったように思うんです。上からの一本釣りじゃなくって、下からの、いわば積み上げ式というかボトムアップのケースですね。
【N】 その有志の方たちの活動をもう少し教えていただけますか?
【O】 熊野古道を実際に歩いてみるとか、参加者を募って。大体知らなかった人が多いわけですから。古道言うても、そのありきたりの田舎道やと思ってる人たち。これは実は熊野九十九王子をたどる、熊野三山へ至る道ですよってことを知ってもらうことから始めましたよね。そういう、いわば実地に即した、歩いて実際自分たちの目で見て認識を深めるというそういう活動。いわゆる座学よりも非常にアクションを中心にした動きだったように思います。
【N】 ありがとうございます。ただ、登録にあたって、いろんなエビデンスや資料を作成していかないといけないと思うんですけれども。そうした資料や世界登録遺産をすべき価値などはどのようにしてどこの主体が作成されたんでしょうか?
【O】 それは先ほど言いました、文化遺産課の中の世界遺産登録推進室のスタッフ。これ専門家集団ですからね。蓄積もありますし、だいたい国内で一定の価値があるというふうに認められた指定文化財が土台になるんです。未指定でわけの分からんようなことは世界遺産の対象にならない。で、その点でいくと、神社仏閣に関しては市町村指定、県指定、国の重要文化財、国宝と4段階ある。そのどれかに指定されてるのが、まずたくさんありますね。ただ問題は道なんです、道路。参詣道。これはほとんどもう放置されてた状態で、文化財指定もされていない。それは歴史の史と城跡の跡と書いて史跡という、史跡指定っていうのが条件になるんですね。幸いに熊野古道のルートの一部が文化庁の方とのいろんなやり取りで一足先に史跡指定されたんです。それを皮切りにして、その他の参詣道、小辺路、高野山から熊野に至る小辺路。それから町石道、高野山に参詣する…。それから中辺路。で、もうひとつが大辺路ですね。串本の、回る海岸線の。そういうところを次々と史跡指定。そのためのもちろん調査をし、専門的見地からの価値付けをしていったわけです。これはほとんどその文化遺産課が持ってたノウハウと蓄積が物を言いましたかね。
【N】 文化庁がユネスコへ提出、必要書類を提出するんでしょうか?
【O】 そうです。これは国からするということになってる。すべて世界各国の政府が責任を持って推薦をすると。ですから、日本の場合は、直接的には文化庁。上部機関は文部大臣ですけどね。それと、外務省。それから環境庁。そういう関連するお役所があって、そこの合意の上で次の1年に1回だけ推薦できるのは。来年はこれをユネスコ本部に推薦しましょうということを合意に達しなきゃいかんわけで。その国が主導で物事を進めていくという、それの基礎的な作業を各府県がやるという、そういう形になりますね。
【N】 ありがとうございます。先行する、世界遺産登録された、そうした遺産に関してなんか参考にされたものはあったんでしょうか?
【O】 神社仏閣関係では、当然京都と奈良市内、から斑鳩、法隆寺、中宮寺。あの辺が神社仏閣の世界遺産の先行事例ですから、そういうところは十分に参考にさせてもらいました。ただし、さっき言いました参詣の道。これは全く例がないわけです。これがまず、苦労の第1番目でしょうかね。
【N】 その苦労というのは、参詣道の調査をするときの苦労?
【O】 そうですね。ほとんど調査されてない区域ばっかりだったもんですから。例外がさっき言った中辺路ですけども。これは歴史の道っていう形で、かなり早くから綿密な調査が行われて。それ以外はほとんど手つかずの状態だったわけで、その所在する市町村の協力も得ながら文化遺産課の担当者がかなり地道に史跡指定してもらえるところまで基礎作業をやらないといかんわけ。史跡指定がないと国内法によって裏付けられてるっていう証明にならないので、参詣道のは一番やりにくかったということですかね。
【N】 そうすると、そうしたかなりのご尽力を経て登録が決定された時は大きな喜びがあったんでしょうか?
【O】 そうですね。いろんな難問の連続だったわけでね。例えば、その難問の1つは今申し上げた道をどうするか。道の中には熊野本宮から新宮。熊野速玉。あそこまでの40kmあまりは川が参詣道の役割を果たしてるんです。で、川が世界遺産になった例はなかったんです。 それをどうやってきちっと盛り込んでいくか。これ建設省が絡んでくる。川の範囲は、水が多い時と少ないとで川幅っていうのはしょちゅう変わりますよね。で、河原の動きだって流路も一定しない。それをどうするかって問題があったし。それから、大嶺奥駈道ってのが奈良県側通って、和歌山に合流する。それだって山伏さんが修験道で歩いてるぐらいですから、ほとんど調査なんてされたことがない。それの調査をやらなきゃいけない。ですから、やっぱり道路、参詣道。今回の世界遺産が紀伊山地の霊場。これは、高野山、吉野大峯、熊野三山って3つの拠点があるんですけども。これは既存のあれとほぼ同じ手法でやれる。だけどそれをつなぐ参詣道は、全く独自の新しいケースだったもんですから。それに随分エネルギー取られましたね。
【N】 参詣道の歴史的に存在していた道なんですけれども。当時は全く人の通らないような状態だったんでしょうか?
【O】 いろいろでしたかね。人跡未踏のようにやぶに埋まれてるとこ、うずまっているところもあれば、結構通ってたところもあるしね。生活道路になってるところもあるし、そういうところ改めて参詣道として文献に当たったりしながら現地測量をして、どれぐらい今までの形態が残っているかを確かめて史跡指定申請を出すわけです。そういうことの積み重ねで2年から3年ぐらいはかかりましたかね。
【N】 ありがとうございます。他に努力されたことや資料作成する上での問題…。
【O】 問題点というか、しょっちゅうぶつかったのは3つの県にまたがるということ。だから、関係する市町村が約30、29だったかな?あるわけで。非常に広域的であるし、複雑に利害関係っていうかな。温度差もありながらね。それをいかに同じペースで持っていくかっていう、これは思ってた以上に難儀した事かな。
【N】 消極的な地域もあった?
【O】 奈良県は圧倒的に消極的でしたね。すでに、もう斑鳩法隆寺周辺と奈良市内という、東大寺や興福寺のああいう大手の知名度の高いところに2か所も世界遺産持ってるわけですから。大峯、吉野ってのは奈良県で言えば僻地でしょう?今更、3つ目の世界遺産なんて必要かいという、本音を問いただせばそういうことだったと思う。もちろん三重県が熱心でね。三重県は伊勢神宮に触れないもんだから。持ち駒っていうか、あまりないんですね。ところが熊野詣でのための道路は、巡礼道は伊勢路っていう名前で三重県側にもあるんです。で、これをぜひとも世界遺産に入れてくれということで、和歌山県が言い出しっぺでしたけども、それにすぐ反応して一緒にやりましょうってなったのは三重県。奈良県は渋々という感じでしたかね。
【N】 参詣道に関しては、土地の所有者への配慮も必要だったんでしょうか?
【O】 そうですね。参詣道っていうのは全部合わせると約300kmになるわけです。その中には公の道、公道として県道や市町村道になってるところもたくさんあるんですけども。個人の私有地を通ってるっていうようなところも何か所かあるんですね。その一番いい例が田辺から串本を回って、那智勝浦へ至る大辺路というルート、あるんです。これはあんまりたくさんの人が昔通ったわけじゃないんだけども。ちゃんとした、れっきとした参詣道なんですね。その大辺路ルートでは、個人の私有地の中をそういうのが通ってるっていう箇所が何か所もあって、上富田町や白浜町や日置川町、そういう町の方に頼んでこの土地の持ち主の了解を取ってもらい、それから測量をしということが必要だったわけです。それがかなり大変な作業が時間も含めてかかるだろうというので、世界遺産の推薦のリストの中に大辺路は含まない方がスムーズにいくんではないかと。タイムリミットということもありますからね。何年登録っていうのは目標がある。それから逆算すると大辺路ルートはとてもきついという、もう諦めムードがあったんですね。ところが、和歌山大学の教育学部で長く中世史の専門家として活躍されてた小山靖憲先生。私の大学の先輩でもあるんですけどね。彼に怒られましてね。小関君、こんなんじゃだめだよって。絶対、大辺路を外したら完全なものでなくなると。いかに困難が伴う、時間がかかる言うても大辺路を外すことはまかりならんてな、発破かけられましてね。で、我々直接そこへまた乗り込んで行くわけにもいかず、小山先生に発破かけられた分、それを今度市町村の方に発破かけるというふうなことの繰り返しでね。私も何遍も町長さんに会いに行きました。
で、世界遺産になることの意義、あるんですよということからね。若干そのために予算も、測量費計上しなきゃいけないし、手間暇、職員の人にもしてもらうけども、土地の持ち主から恨まれるばかりであるかもしれないけど、なんとか頼みますって。拝みこむような事をしてね。その町の町長さんもよう分かってくれて、1日議会を開いて補正予算を組んでまでも、測量費を。測量の実務は専門家が行くんですけども、費用は町が負担、所有者負担というか。それでも絶対いやだって言う人もやっぱり最後までいましたね。非常に大事な峠の入り口の部分、1kmぐらいとか。それが3か所ほどありましてね。説得ももう刀折れ矢尽きになって。結局は、そこは除くと。だから、つながってないんです。正確に言うと、大辺路は。何か所かぶつ切れになってる。もうそれをしてでも、全体の大辺路ということからすれば、極わずかな範囲ですからね。大勢に影響が出るほどでもないっていうんで。
あとは、もうひとつ忘れられないのは、所有者というか大峯奥駈道という、先ほどちょっと言った修験道の山伏さんたちしか通らないような道があるんですが。それも宗教的な意味では大変意義深いんでね。修験道っていうのは。世界遺産になったためしがないわけですから。それも修験道関係者に尋ねて、世界遺産にもしなったらたくさんの人が関心を持って訪れるに違いない。そしたらば、神聖であるべき修行の場が乱されるっていう事だって起こるかもしれない。それでもよろしいかって言って。だから、聖護院っていうお寺が京都にありますが、あそこが修験道の一般の総本山なんですね。そこの方が英断を下してくれて、結構ですと。で、1つの修験道関係者の窓口が開かれた。それは良かったんだけども、その次に出てきたのは土地の持ち主なんです。
紀伊半島っていうのは、水力発電のメッカというか、あちこちにダムがあって昔は火力発電よりも水力中心でしたから。それで結構、都会へ電力を送る送電線をズラーっと立てていくわけよね。ダムの近くに発電所を作って、そこで起こした電気を延々と何十キロも運ぶ。その電源開発してる会社が、ノーと言ってきたんです。我々が苦労して、そらそうでしょう、そりゃ山の上ね、鉄塔を建てて電線を通して、これは大変な工事をしたと思うんですが、その下を少数の山伏さんでもない一般の人が通るっていうのは安全保障できないと。感電事故でも1つ起こったら責任取らされるようなことじゃないかって。ノーって言ってきたんです。そこを、だけど、所有者の了解が取れないから外しますとなったらね。それこそ大峰奥駈道も寸断されることになるんで、これも困りましてね。ここはもう現地レベルではらちが明かないということで、東京の電源開発の本社までなんとか了解してくれという話をしに行ったのを覚えてます。
【N】 了解は得られたんですか?
【O】 それがですね。現地と本社との意思疎通があんまり十分でなかったらしくて、本社側では、そういう世界遺産っていう問題が起こってるってことをほとんど知らなかったらしいですね。だから、現地レベルで、悪いけども事なかれ主義で危ないことはせんといてくれっていう気持ちは分からんでもないですけどね。万が一事故が起こったときどうするんだってことあるから。本社レベルでよう考えたら、世界遺産の価値はやっぱり何物にも代えがたいものがあるだろうと。そうなったら、電源開発会社側がごねたっていうふうなのはまずいだろうってことで。最終的には結構です、安全対策は自分らなりに改めてやりますからって言って、認めてもらったんですがね。その時の電源開発の技術担当の常務ってのが出てきて、我々と話したんですけど。それがなんと私の高等学校の同級生だったっていう。これも不思議な縁でね。それでまあなれ合いっていう訳じゃないんだけども。話しがスムーズにいきましたかね。あん時はどうなることかと。本社まで行ったところでらちが明かない恐れの方が大きかったわけですからね。あれはうれしかったですね。そんなこともありましたね。
【N】 ありがとうございます。2004年にめでたく登録されたわけなんですけれども。現在2024年ですけれども、20年振り返って、やはり世界遺産の効果というのは大きいというふうにお考えでしょうか?
【O】 そうですね。例えば、高野山の麓に九度山という町がありますけども。あそこも慈尊院とか官省符神社とか世界遺産に入ってるし。町石道の出発地点でもありますからね。そこへ行っていろいろ話聞いた時に、九度山で1軒だけ旅館をやってるが主がこう言うんですね。ここの近所の人よりもはるかに高野山やら九度山のことに詳しい外国人が来るんだと。なんで知ったんだろうっていったら、やっぱり世界遺産ということのネームバリューは世界中に広まってる。今の時代ですから、インターネットかなんかで情報は入手しやすい。事前に調べてね。
例えば高野山の文化ってのは、弘法大師がわざわざ山の中に、あれは修行のための道場がスタートなんですね。それを作ったのは、密教という仏教の中でも非常に深遠な真理を含んだ難しい分野だと思うんですけど。その真言密教文化を十分に理解した外国人は、特にフランス人が来るんです。名もなき小さな私どもの旅館にも泊まってくれるんです。そこから高野山まで歩いて登るっていうね。団体さんがバスで乗り込んできてワイワイ騒いで帰るっていうような、そういう観光地ではないけれども。宗教文化の自然との合体のようなことをちゃんと理解した個人のグループが随分増えてます。ですから、いわゆるインバウンドって言いますけども、あの先駆けになったような感じが、熊野地方でもそうですよ。熊野ビューローっていうのが、地元の受け入れ団体がありますけどね。英語でガイドをする人たちは引っ張りだこになってるぐらい外国人が来てくれる。よくオーバーツーリズムっていうことを最近、弊害があるって言われてますね。一か所にうわーっと集中してなにもかにも混乱、破壊につながる。そこまではいかない静かなブームっていうかな。で、もちろん日本人だって、特に関東方面、東日本の人たちにとっては紀伊半島ははるか遠い僻遠の地。理解の範囲外だった。いわば外国のようなものだったのが、非常に身近になったと。関西の人でしたら西国三十三ヵ所巡りの一番札所が那智ですから、青岸渡寺かな。で、二番が紀三井寺。馴染みがあるんだけども。東日本の人たちはこの新鮮な道の世界っていう形で、世界遺産になったことによって初めて知ったという人が非常に多いという話は聞きますね。そういう意味で私は浮ついた土産物たくさん買い込んで騒ぐような観光客じゃなくって、じっくりと落ち着いて自然や文化を理解しようとするそういう来訪者が確実に増えてきているということ、非常にありがたい話で、当初の願いは達せられたんじゃないかなというふうに思ってます。
【N】 現在の参詣道に対する思いについて教えていただけますか?
【O】 はい。世界遺産っていうのはすでに、1000件を超えてるかと思いますね。世界中に数が増えて、むしろ抑制気味だと聞いてますけども。その中にあって、未だにっていうか和歌山のあれが登録されてから20年たってもまだ、宗教的な対象に向かって人々が動く。巡礼とか参詣、そういうための道が世界遺産になってるのはスペインのサンチャゴ巡礼道と和歌山の熊野参詣道だけなんですね。それ以上にユニークであるっていうことは、それだけまた指定されづらいという自然条件に左右されるわけですから、難しい点があるんではないかと思うんですね。
その点で和歌山県を中心にしたこの参詣道の維持保全は1つの大きなお手本になってるんではないかと。雨の多い地域ですから、土砂崩れ。道が水浸しになって流れる、これもざらにあります。コンクリートで固めた道ではありませんのでね。そういう自然の悪条件の中で人々が安心して通れるように道路を維持するっていうのは、普段の努力が必要になってくるわけです。その点で言うと、例えば先ほど言いました、非常に指定が難しかった大辺路ルートでは、わざわざ地元の人たちが切り開き隊と言ったかな。刈り開き隊と言ったかな。そんな名前をつけて、地元住民の有志が道路整備に、藪を刈ったり崩れそうなところに補強の石を置いたりとかいろんなことをして維持されてますし。
その他の中辺路から高野町石道の場合なんかも、道普請って言葉が定着してきましてね。昔は、道路工事のこと道普請っていう言葉を普通に使ってたわけです。それが現代によみがえって、手作業でスコップや土を盛り上げてやるといういわば手作りの道路工事が非常に粘り強く、多くの人たちが参加してやられてるっていう事なんですね。最近は企業でも、地域貢献って言うんでしょうかね。そういう関係から、企業の森という山林を保全するのもあるし、格好の素材が世界遺産の参詣道の補修工事を社員がやるという、いろんな団体もそうですけど。学生、中高生もあるし地元の人たちもあるし、そういういろいろな人たちが汗を流して、壊れた道を直して安全に通れるようにしているっていう。これはなかなかできるものではないと思うんですよね。
その一方で、断る、指定を嫌だっていう人もいましたけども。そういう人たちも安心して見てくれてるんではないかなという。そういう普段の努力っていうのが、ずっと続けられてきている。それはこれからもむしろ盛んになっていく動きであろうというふうに思うんですね。指定されてそれで終わりというもんではないという、普段のそういうコツコツとした積み上げっていうかな。それがあって初めて価値を維持、存続させられるといういい例になるわけでね。何も知らない観光客が気楽に通ってるかもしれない道であっても、その陰では、名もなきって言ったら悪いけども人々が汗を流しているという、こういうことっていうのは他の世界遺産にはほとんど見られないだろうと思います。
ということは、道路が指定されてないから、やりようがない。お寺の壊れたのを素人が直しに行くわけにもいかないでしょ。そういう事柄考えれば、ユニークな世界遺産であるがゆえに、その後もこれからも人々に支えられていくワールドヘリテージの代表であろうというふうに思うんですね。
で、スペインのサンチャゴ巡礼道へ行った時に思ったのは、そういう道普請はあの地方はあまり必要がないんですけども。巡礼宿っていうのが、ずっと沿道に点々とありまして、それはもちろん国の補助があったりもするんですけども。その沿線の住民が世界各地から集まってくる人に対する温かいおもてなしの心、ホスピタリティーっていうか、それが満ちあふれてるんです。巡礼道を通る人に悪いやつはいないっていうふうに、彼らも言ってましたよ。ほんで、ちょっとワイン飲んでいけとか、自分とこの家で作った生ハムがあるから一口かじっていけとかってことを非常に気さくに言ってくれる人たちが、非常に暖かく迎えてくれるという。それは巡礼道の持ってる良さなんではないかなと。その点で言うたら、熊野古道は受け入れ体制という点ではハード面でやや物足りませんね。巡礼宿に相当するような、ほとんど低料金で泊まれるようなところがもっとたくさんなきゃおかしいし。网易体育をどうするかって問題なんかも解決しなきゃならんとは思うんですけども。それは微々たる問題で、20年前に登録されたというこの事実の大きさは計り知れないものだと思ってますし、その一翼を担わしてもらう幸運に恵まれたことはありがたかったかなというふうに思いますね。やっぱり苦労が多ければ多いほど、喜びっていうか成就したときの値打ちってのは、自分の中でも大きくなっていくものなんですよね。で、多分後世の人々も誇りを持って高野熊野に対する愛着の気持ちを持ち続けてくれるではないかなと、安心して見ております。
【N】 ありがとうございます。